戦争法廃止を誓いあう   第87回山宣墓前祭

 治安維持法の改悪に命懸けで反対し、1929年3月5日、右翼のテロで暗殺された山本宣治を偲ぶ「山宣墓前祭」が、善法墓地において開かれ、200人が参列しました。山本宣治は、1889年宇治市生まれ、アメリカで苦学した後、産児制限の普及につとめ、同志社大学で教壇に立つなどを経て労農党から衆議院京都2区に立候補して当選しました。普通選挙の実施で、無産政党からの当選者が出たことに危機感を強めた政府が、治安維持法の改悪をすすめようとしたのにただひとり反対しました。治安維持法の国会での演説を控えた夜、宿舎で右翼に刺殺されました。40歳でした。暗殺者の背後には、内務省警保局がいたことが解明されています。山本宣治は、親しみやすく明るい性格もあって、多くの人に「山宣」と親しんで呼ばれていました。

 墓前祭は、参加者による黙祷で始まり、続いて山宣追悼歌を一緒に歌いました。

 主催者である第87回山宣墓前祭実行委員会委員長の本庄豊さんがあいさつし、「安倍政権は、日本を戦争する国に変質させようとしている」と批判し、「山本宣治さん、あなたの思いは、いま受け継がれています」と語り、戦争をしない日本を時代につなぐことを宣言し、献花しました。

 弔辞・追悼の言葉を、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の宮城日出年さん、日本民主青年同盟の堀川朗子さん、全日本年金者組合の山崎彰さん、日本国民救援会の大平勲さん、長野山宣会の柄沢義郎さん、新社会党の池内光宏さん、日本共産党の大河原としたかさん、それぞれが追悼の言葉をにべ、献花しました。

 墓前の誓いで、あさくら診療所の松元伊万里さんが「山本宣治さん、今年もまたあなたの墓前につどい、あなたに思いをはせ、その意思を継いで、個人の尊厳が守られ、平和で幸せに暮らせる社会の実現をめざす誓いを新たにしています。」と語りかけ、「私たちは、侵略戦争と暗黒政治を反省し、二度と戦争はすまいと決意し、日本国憲法を制定しました。」「しかしその日本国憲法が危機に直面しています。」「自民・公明・安倍政権がねらう憲法九条改悪をゆるさず、戦争法の廃止、医療・福祉の充実の力を合わせることをあなたの墓前に誓います」と結びました。

 遺族を代表して、孫の山本勇治さんが、宣治の遺族それぞれの近況をユーモアを交えて紹介されました。そして、宣治の思いが多くの人に受け継がれていることに感謝し、「みなさんとともに、戦争のない日本をつなげていきたい」と語られました。

 その後、参加者も順に墓前にお参りました。その後、会場を「花やしき浮舟園」(宣治の実家)に移し、「山本宣治を偲ぶ茶話会」が開かれました。

 

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